フェルゲルトゥングスヴァッフェ2
1943年夏にRAFがペーネミュンデへの大規模空爆を行い、秘密兵器センター
は壊滅的な打撃を受けました。
かねてより、V2運用には機動性が重要であることをフォン=ブラウンとともに
主張してきたことがこの時点で認められ、ドルンベルガー少将はミッテルヴェル
グ社に命じV2搬送車を試験的に作らせたのでした。44年春のことです。
完成した3台のマイラーヴァーゲンはティーゲルの車体に発射台とブラストプレー
トを取り付け70度寝かせた状態で移動でき、発射時に垂直となる機構を備えて
おり、燃料の液体酸素も車体内部に格納できるようになっていました。
早速発射実験をかねて、アーヘン南方のアイフェル高原に3台が集結した時に私
が撮った写真がこれです。実験は見事成功し、後に控えたロンドン攻撃を目的と
した『ペンギン作戦』の遂行に大きな期待が寄せられたのです。しかしヒットラー
総統は以前からUボート基地同様の固定型要塞ブンカーに絶対的信頼をもっており、
カムラーSS中将の進言にもかかわらず計画は途中撤回されてしまいました。
結局レジスタンスからの報告でV2ブンカーには延べ数百トンの爆弾が投下され、
その年の9月から始まった連合軍の地空共同の『マーケット・ガーデン作戦』に
より、当初の目的を果たすことは出来なくなったのです。
終戦後私はソ連に連行されソユーズの慣性誘導装置開発に従事しましたが、66
年にスイスに亡命してからは静かに暮らすことができるようになりました。
ヒットラーの判断が誤らなければ、もしかしたら歴史は変わっていたかも知れま
せん。しかし・・・これで良かったのだと思います。
そう言い終えると、今年89歳になるハンス=テルシュタイン博士は我々の前に
この1枚の写真を残し、チューリッヒの雑踏の中に消えていった。

  ・テーマ/自由部門
  ・作品名/報復兵器2号
  ・CG部門
  ・使用キット/タミヤ1/35タイガ−1、シュビムワーゲン
         イタレリ1/35ピューマ
         ドラゴン1/35 V2ロケット
  ・製作者ハンドル名/テルシュタイン博士