ドイツ1945『慟哭の巨獣』
   『総統をコミュニストに包囲されたベルリンから救出せよ!』
   これがドイツ軍人として私の受けた最後の命令だった。

 1945年4月下旬−第3帝国の首都ベルリンは怒涛のように押し寄せるソ連軍に
包囲され陥落寸前だった。ヒトラーは総統官邸の地下防空壕に、わずかな腹心と共に
潜み、将軍達のドイツ南部への脱出勧告にも耳を貸さなかったが突如変心し第12軍
の司令官ヴァルター・ヴェンク中将に救援命令を発した『余は脱出する!余がある限
り第3帝国は不滅なのだ!余の在る所こそが第3帝国なのだ!!』…この時ソ連軍は
官邸まで数キロに迫っていたのである。

 命令を受けたヴェンク中将は即座に、かねてよりクンマースドルフに待機させてい
た私が指揮する救出部隊を出動させた。中将は、日頃の一貫しない言動から極度の
情緒不安定症の総統が、かならず救援命令を発すると確信していたのである。

 命令を受けた私にとってはこれが実戦部隊復帰後の初任務だった。
私は昨年夏にカーン南方サントー付近での交戦中、搭乗していたタイガーTが
ファイアフライの砲撃で破壊された折に負傷し、傷が癒えた後もずっと後方で
教官を務めていたからである。私が指揮する部隊はタイガーT5両、同U3両、
W号J型8両からなる、その時としては貴重な戦力だった。
 そして私自身は、完成後クンマースドルフ砲兵試験場の掩体壕に秘匿されていた
史上最大の重戦車マウス(*)に搭乗した。《マウスは今日一般に流布されているよ
うな、鈍重で役立たずな兵器ではない。強大な攻撃力と堅牢な装甲は使い方に
よっては無類の戦闘力を発揮した。》

*訳者注…作戦に使用されたのは、存在をうわさされていた試作3号車であり。
現在クビンカにある試作1+2号車ではない。

 ベルリンまで向かう道すがら私は、ソ連軍から逃れるために西へと向かう大勢の
難民に遭遇し思った。『今更、総統を救出して何になる。あの男には、この戦争を
始めた責任をとる義務がある。』と…。また『本来なら去年の夏に亡くすはず
だった命だ。』とも…。

 私は決断した。総統官邸に向かうのをやめ、部隊を東へと転進させた。
その先には、まだ多くの難民があふれ、更に先には押し寄せる強大なソ連軍が
いるからだ。
 
 敵戦車部隊に突入する直前、高揚する心の中で私は叫んだ。
               『それでは最後の教育をしてやろう!』


       『ミハエル・ヴィットマン−自伝−』〈慟哭の章〉より
                          《翻訳・山野治夫》


■CG合成部門エントリー
■使用キット…ドラゴン・1/35・マウス
        …タミヤ・1/35・T34/85
■画像製作…SORA